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苫田ダムの左岸寄りから上流側を遠望しますとこういう景色が見えます。矢印部分に何となく平行な2本のスジが見えますねー これが旧久田発電所の水圧管路跡です。
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そんなわけですんで発電所の敷地は深い深い水の底にありまして取材不能。なお建屋は取り壊されてましてどこやらのダム湖の旧役場みたいに干上がるたんび現れたりはしません。上写真矢印部分を道路から見下ろした様子。
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同じ地点から山側を見ますとこうなってました。この階段は発電所が廃止になってから付けられたみたいですが目的はわかりません。さも登ってくれと言わんばかりですよねー
このときの気温は30度どころやありませんでしたけど据膳食わんのは男としていかがなものか…
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いうんで登り始めました。アンカーの様子。建設は大正年間ですが水圧管路は1975年に取換えられてますんでコンクリの角もキッチリ出ています。
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山登りなんか何年もしてませんのでヒーヒーいいながらヘッドタンクまでたどり着きました。草が茂りまくってましてあんまりええ撮影ポイントがないなか夏空をバックに一枚。
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上の写真の構造物は天辺がこうなってました。もとは水槽だったと思いますが山の上に大きなプールをほったらかしにしとくと災いの元ですんでコンクリで埋められたみたいです。
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もう1段上から撮った様子。真ん中辺に見えるのが上写真の平たい部分です。このヘッドタンクは鋼製の制水門を4つも持ってたらしくてコンクリの構造物もこのように上下2段に造られてました。
苫田ダム湖を遥かに見下ろして眺めもええですし木陰に入れば涼しい風も吹いてまして一服できました。
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当然導水路も埋められてましたが今でも水がしみ出るらしく水抜き用の穴が開けられてましてチョロチョロ流れ出てました。
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旧羽出発電所の入口にある橋のすぐ上流側にこの遺構があります。これは左岸側の取水口跡。ここから沈砂池まで短いトンネルで導水されてました。
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取水口跡から対岸を望む。成羽川同様えん堤は底まできれいに取り払われてまして跡は全くわかりません。
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えん堤跡から南向きにしばらく行きますと山肌と旧国道のあいだに何となく三日月型の空き地がありました。これを見てピンとくるかどうかが水力ファン的センスなんですねー
実はこれが沈砂池の跡なんですわ。矢印は発電所側の開渠水路の跡で今は遊歩道になってました。
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川もないのに道路が橋みたいな感じになってる…いうような所に気付く観察眼が素人とスジの者との分かれ目です。ここに排砂水路があったんやなと…
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もと水路の遊歩道は地元の方の散歩などにそこそこ使われてました。画面真ん中の造成地みたいな部分は全高架式調整池として土木史に名を残す布江調整池の跡ですが取り壊されて開渠水路の谷側ともども奥津第二発電所導水トンネルの残土捨て場になってしまいまして跡形もありません。
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下側から見上げる布江調整池跡。一応保存の声もあったみたいですが、か細い老朽コンクリの柱で支えられた80メートル四方もある池が水を満載して当てもなく放置されてるのも防災上あんまりええことないですし惜しいけどしょうがないかな…
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これは養野川いう支流にかかっていた水路橋および開渠水路の跡と思われる部分。川沿いの道路がここだけ橋みたいな形になってますしそこから新しめの道が山に向かって伸びてますからAからBの方向に水路が延びてたんやないかと推理したんですがねー
この場所でも取水してたそうですがえん堤の跡はわかりませんでした。白矢印は奥津第二発電所の逆サイホン管路です。
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その奥津第二発電所がある奥津町河内いう所から谷間を少し遡ったところにこういう遺構が見えます。こっちは久田発電所の逆サイホン管路跡…いうのは谷間をわたるV字型の水路のことですわ。
こちら上流側の水路橋台。矢印部分にトンネル跡がかすかに見えます。
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下流側の水路橋台。こっちははっきり上の方にトンネル跡が見えますねー このトンネルを抜けるとヘッドタンクです。下流のトンネル坑口は上流側より約18メートル低いそうで、この差によって谷底を這うV字型の水路でも水が流れるわけ。
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出来た当座は西日本最大を誇った久田発電所。苫田ダムの横槍さえなければ同僚たちと揃って国の登録有形文化財に指定されてたはずですし魅力あふれる建屋と布江調整池の史料価値をもってすれば蹴上や三居沢を差し置いて初の水力国宝も夢やなかったのに無情な時の流れによって哀れや水没発電所に成り果ててしまいました。心ある方はせめて地上に残されたこれら遺構でも眺めて在りし日を偲んでいただきたいと思います。
参考文献・URL
奥津町史:奥津町
中国地方電気事業史:中国地方電気事業史編集委員会
みまさかの電気の歴史:中国電力株式会社津山営業所
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