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奥津町役場からR179を少し南に行くと駐車帯みたいなところにアンパンマンが立ってまして、その先から別れる川沿いの細い道をたどるとこの石垣が見えます。
これは岡山県で最初の事業用発電所があった場所ですが廃止が大正年間ですんで当然ながら跡形なんぞ影もカタチもありませんで残ってるものはこの程度。これは多分社宅か何かの敷地ですわ。
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ご覧の通り九割八分がた自然に帰ってまして地元の方に教えてもらわんと全く分かりません。何かの階段みたいですが何のものかは全く見当付かず。
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階段のある場所のそばには短い橋が架かってましてその向こうにも石垣。これが発電所建屋の敷地跡みたいです。
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その短い橋は古い石積みで作られた溝を跨いでました。
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同じ溝の反対側。
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発電所敷地跡を挟んだ反対側にも古い溝がありまして、その上から敷地跡を見た様子。
上写真の溝は向こうに見える車の位置にありまして、この2本はそれぞれ放流路&余水路や思います。
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その溝の端部。地形から考えてたぶんこっちが余水路ですわ。
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対岸から建屋跡敷地および放流口と余水路(いずれも推定)を見た様子。地形図の等高線から察するに落差は20メートル前後。ヘッドタンクの跡は黄線のあたりに埋もれてると思います。
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この発電所を造った津山電気は販路拡張に努めた結果、津山市はおろか遠く柵原鉱山や湯郷温泉の方までサービスエリアを広げたそうですが明治末期とはいえさすがに300kWでは供給が心細いですわね。
折しも倉敷電燈と合併する話が持ち上がりまして、そうなると岡山県南部にも電気を供給することになりますんで当発電所が完成したはしから羽出発電所の建設がスタート。
当所自体も高落差大出力型へのアップグレードが計画されまして、11年後に6000kWの久田発電所として生まれ変わりました。この小さい不憫な発電所はえん堤と水路の一部をそっちに譲って入れ替わりに短い一生を終えたそうですわ。
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